Lark Chillout

ラークさんとの出会いは、そもそもBULLJUNの紹介でNYから帰国後上京し、下北沢のJETSETに尋ねた時です。
その時は、2人でCAFEに行き、出来上がったばかりのAYB FORCEのアルバムをお店でかけてもらった事を覚えてます。

NYから帰ったばかりなのせいか、ラークさんは黒人にみえてくるほど、出で立ちがHIPHOPで、つくる音もかなり黒い音をつくる
やばいビートメーカーです。ラークさんと仕事をする事になってから、loadfiness や、large professer、biz markeyなど
僕が20歳頃に憧れていたラッパーと仕事ができ、大変貴重な体験をする事ができました。後にDRUM LINEというラークさん
ソロのアルバムをリリース。この時の仕事は、細かい編集やドラムのタイミングなど、極限まで切り詰めて仕上げたのを
覚えています。良いアルバムができたと思います。次なるLARK CHILL OUTの曲が楽しみです。

2011/6/23

Bull Jun

BULL JUNとは、2004年NY滞在中マンハッタン4,5,6番trainで自宅116st spanish harlem地区に向かう最中に良く遭遇していて知りあったのがきっかけです。

当時僕は、hiphopグループ”yingyang”のトラックメイク、DJとして活動中、BULL JUNは後に発売されたAYB FORSEのアルバムHARDBOILDを製作中。いろいろ話していて、そのHARDBOILDをミックスしたのが初の仕事、後にBREAKING POINT、BULLJUN1st,2ndアルバムを全ミックスする事になりました。凄まじいほどのSOUL,FUNK,LATIN,JAZZのレコードを所有し、抜群のサンプルセンスを持っています。
 僕もMPC2000XLを使っていたので、共通する機材を持っていた事から、すぐ仲良くなり、よく一緒にイベントにあそびに行ってました。
1stアルバム制作時は、宮崎から磯田氏(デーちゃん)がNYに来ることになり、制作に参加。
後にTONDA TORIOをリリースするMPC使いですが、この人もかなりのサンプルネタの料理人!いろいろなところから切り刻んでは、貼りつけ、加工する達人です。2ndアルバムの時は、地元宮崎県延岡市のクラブを貸切り、制作スタジオ化し、2週間の缶詰作業でした。

この時の機材環境は、WINDOWSにNUENDO、UNIVERSAL AUDIO 、APOGEE ROSETTA 800ってな感じです。
機材トラブルや、とてつもない疲労と苦悩の戦いでしたが、完成!終わってみるとかなり良い思いです。
BULL JUNは、今でもNYに家族と在住中。次の新たな曲を期待しています。

2011/6/8

スタジオ引越した時の事

10月、ORIGAMI PRODUCTIONSの社長、対馬さんとスタジオを共同経営することが決まって依頼、物件探しや、立地条件、防音性、電気容量などで大忙し。しかしその結果、環七近くの代田に引越しさせる事に成功しました!
なんとまあ、リニューアルしたり引っ越したりで、濃い半年間でしたが。

ある程度整っているお部屋から、全くのコンクリート状態だったり、北は中野、西は尾山台、東は四谷、南は高輪、かなり探しましたがここが一番! すべてコンクリートでしたが、床にクッションフロアーをはるところからはじめ、真ん中に壁を作り2重扉を完成させ、外の扉、窓を防音の為すべて吸音材とコンパネで埋め尽くし、かなりの遮音に成功しました。3ヶ月ぐらいで、土台ができた感じです。部屋中で電ノコを走らせたり、かなづちで壁をトンカンやったりこの3ヶ月は、2人で大工になってました。

しかし、防音の事はこれで、かなり詳しくなれましたし、何よりも、自分たちで作ったスタジオで作られる音が世に出ると想像しただけでも、すごい達成感が湧いてくるだろうと、わくわくしています。

2011/6/1